豊かに生き延びる

ノンノンフィクション サバイバルに生きろ

祝!ブログ開設1周年!!

どうも

T-DAです。

 

 ついにこのブログ…

1周年を迎えました!!!(ドンドンパフパフ)

 

 最初は辛い現実から何とか抜け出したくて始め、断続的に続けて、なんとか今日を迎えました。本当に断続的なので、記事の数が90しかないです。でも、大切なことは続けたことです。恥ずかしい自分を生み出しても消さずに、これも自分だと受け入れて今の自分を迎えています。

 最近、自分の人生計画が真っ白になってしまって、ブログ開設当初と同じくらい重い悩みを抱えていますが、プライベートが充実してきているので元気な方だと思います。今の生活をいつまで続けるのか、誰を信じて生きていくのか、悩みますね。まだ、判断材料が揃っていない現状です。ひとまず、いいと思ったことをブログに書いて、「やったほうがいいこと」より「やりたいこと」をしていこうと思います。それで、判断材料が増えていくといいですね。

 いつも見に来ていただいてありがとうございます。ゆっくりペースでいきますが、これからもどうぞよしなに。

ピクニック

どうも

T-DAです。

 

 最近ピクニックが流行っています。先週の日曜日は暑くてどうしたもんかと思いましたが、結局3時間ぐらいピクニックしていたのかなと思います。

ピクニックのいいところは準備から楽しい。

 ビニールシートを詰める、楽しい。

 持っていくご飯を作って、包む、楽しい。

 ボードゲームやボールなどを持っていく、楽しい。

 麦わら帽子を被る、楽しい。

まだ、この時点でピクニックは始まっていません。でも、すでにこんなに楽しい。

そして、公園につきます。

 ビニールシートを敷いて寝転ぶ、楽しい。

 作ったご飯を食べる、おいしい。

 周りを眺める、楽しい(家族連れの喧騒が聞こえればなおよし)。

 遊ぶ、楽しい。

友達がいれば、なんだか落ち着いて色々な話ができますし、いいことしかないですね。

 

今はもう本当に暑くて仕方ないので、今度は夜にピクニックしたいですね。

シンプルにお金が欲しいというのはどうだろう

どうも

T-DAです。

 

 シンプルなお願い。お金が欲しい。できれば後ろめたくないお金が欲しい。もらう時もそうだし、使う時もそう。

 私は、全てのことを開示する気はないのだけれど、私は私のすべてを知っているので「これでいいのかな」というモヤモヤはできるだけ抱えたくない。買ったものについて他人から「いいね」と言われたら、「(私のこと)わかってるねー」と思うけど、「そんなお金出して買うもの?」と言われたら「(私のこと)わかってないねー」と思う。自分が自分の生活を牛耳る中で、ストレスはできるだけ溜めたくない。私のことわかってない人の意見で、自分の意見を曲げるのは自分に後ろめたい。私のことわかってない人にただお金をもらうのも後ろめたい。見返りを求められているような気がするからだ。行動に理由を求めちゃうような相手は私にとって私のことわかってない人なんだろうな。

 先日、ボーナスをいただきましたが、積もり積もった欲しいものの金額を累計するとボーナスを軽く超えてしまったので頭を抱えています。そう、今私はシンプルにお金が欲しい。私のことわかってる人は皆「買っちゃいなよ」といいます。身の丈以上の買い物をする心構えが分かりません。欲しいものを買う水準くらいのお金が欲しい。

 学生時代に買ってもらったものは身の丈以上だったんだなと、今思います。

しないを選択

どうも

T-DAです。

 

 やりたいことリストとやりたくないリストの他に「しないリスト」をつけています。

 色んなものに興味を持ってしまう私は、始めてみたはいいものの「向いていない」と思ったり「そんなに好きじゃなかった」と思ったりするものが出てきます。そして、しばらくすると、「気分が変わって、今度は楽しくできるかもしれない」と再度挑戦してみますが「やっぱりだめだ」というのを繰り返しています。

 私が「浅く広く」から抜け出せないのはこのせいなのかもしれないと思いました。選択肢が沢山あることは、楽なことです。自分の可能性が広がっているように見えるからです。でも、どの道も一歩進めたとしても二歩目がなければ一歩目の足跡は掠れていきますし、しばらくしてまた歩み始めても、一歩目をもう一度踏み出すことになります。

 そうなると可能性に未練ばかり感じてしまって、未来の何を見据えているんだろうと思ってしまいます。そして、現在をおざなりにして、本当に生きているつもりなんだろうかと思います。なので。現在をおざなりにしてしまうものを「しないリスト」に追加し、今この瞬間を考えて生きるようにしています。

百人一首

どうも

T-DAです。

 

 この前友人を家に誘って、何かしらボードゲームをすることになり、おもちゃ箱を漁っていたら、百人一首が出てきたのでやってみることにしました。二人しかいないですが、お互い詠みあいながらやればできるだろうということにしてやってみました。小学校の時は何も感じなかった歌を、大人になって詠むと「よく百に収められたな」と思うくらい良い歌が沢山ありました。詠まれた時代は全然違いますが、約31文字で表しきれない余白の部分が時代のギャップを埋めて、現代にも受け入れられているんだと思います。

 800年も前に作られた歌集を、現在でも遊ぶことができて「なんて文化的なんだろう!!」と思います。

 あれから理解のある友人に百人一首を申し込んでいますが、公園でピクニックしている時にやる百人一首が意外によかったです。(外で何かするということですでに5割増しくらいでいいものに見えますけどね。)

また「ある」とか「ない」とかの話

どうも

T-DAです。

 

 言葉の上でしか「ない」は存在できません。

 私たちがよくすることとして「ない」の創出が挙げられます。正当な「ない」を定義するとしたら、進化の過程で退化したもの、持っていたものがなくなったことを指すこととします。つまり「ある」という状況から「ない」に変わったものだとします。

 何かが「ある」だろうと思われる状況で、それが「ない」と結論付けるのは、私たちのよくする「ない」の創出です。日常会話において「ない」を創出するのは、言葉遊びの一環ですので楽しいです。しかし、言葉遊びにはっきりとした定義を求めてしまうと、正解がないのに、どちらが正しいかを主張しあうことになってしまうので、一気に不毛な感じが出てしまいます。それどころか、言葉遊びなどする暇もない真面目な場面で「ない」の創出をしてしまったら、これは本当に悲惨です。

 真面目な場面では「ある」とは「何がどうあるのか」を分かってから、「ない」について議論すべきです。

原色をまとう

どうも

T-DAです。

 

 本格的に梅雨入りしました。今日の朝はバスに置いてかれてしまって、右半身びしょびしょになりながら会社に行ったんですが、着替えた時に「このズボン、クリーニングしかダメなの…」と切ない気持ちになりました。着たい服を我慢して、気候に合わせた服装の選択をしたのに、どうにも上手くいかない私。虫取り少年スタイルから抜け出したての私はまだ環境に適応しきれていないようです。

 今は無難な服を着ているんですが、本当は原色をまとって生命力をまとっていたいです。生命力をまとうと、自信に満ち溢れるというか、はつらつと存在できるというか、そんな気持ちになります。「服に負けないぞ」という気持ちになるからなんでしょうか・・・

 先日、少し生命力のある服を買って弾みがついたところ、これから夏がやってきます。生命力がめきめき湧いてきそうな気がするので、取り残さずまとってやりたいと思います。