豊かに生き延びる

ノンノンフィクション サバイバルに生きろ

違和感のない普通

どうも

T-DAです。

 

 会社にいると違和感のない普通を過ごす人が多いなと思います。

 仕事をしていると「どうしてこんなに時が止まったやり方をしているの…」とか「好奇心で他人の時間を奪うの!?」とか「何も決まらない会議…」とか思うことが多いんですが、当事者たちは何も疑問を持ちません。会社にいると少なからず自分の考えとかやりたいことを抑制されていると思うんですが(それがいいとは思いませんが)、彼らは会社の普通を違和感なく過ごしています。そして何故かその普通を日常生活の価値観にまで持ち込んでいます。私は会社の人と雑談することをやめましたが、理由の一つにそれが挙げられます。

 自分で判断することを放棄した人たちと会話するのは疲れます。自分が話しているのに気持ちがないし、「良さそう・悪そう」という平行線な会話しかできないからです。私はその人と会話しているのに、その人は「社会としての代表的な意見を言っている」という気持ちで会話されてしまいます。そうなると、別にその人と話す必要もないですし、人は多かれ少なかれ例外な部分を持っているのに、「社会としての代表的な意見」というあいまいなもので否定されがちです。そして彼ら自身も自分の中の例外な部分について「社会としての代表」から外れていると認識し、「自身の例外な部分について社会がくみ取ってくれない」という不満を漏らしています。葛藤は苦しいですが、苦しいところから少しでも幸せなところに行くためには必要なことだと思います。

 違和感のない普通は人らしさを失います。苦しくても葛藤を続けていたいと思います。