豊かに生き延びる

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オリンピック選手の「体めっちゃ痛いっす」

どうも

T-DAです。

 

 アジア競技大会が開催されていますね。私は全然テレビを見ないので、昨日やっと認知しました。2004年のアテネオリンピックあたりから、オリンピック競技の観戦がなんだか好きでテレビで中継していればつい見てしまうんですが、私としては小学校の時にテニスをやっていたくらいで、そんなにスポーツに触れていない学生時代でした。

 昨日、400メートル個人リレーで瀬戸大也選手が金メダルを取り、その後のインタビューで「(全力で泳いで)体めっちゃ痛いっす」という様な発言をしていました。私はその発言を聞いて、「体が痛い…?」と一瞬思ったんですが、すぐに当たり前のことを忘れているのに気づきました。

 オリンピック選手たちは私には想像できないレベルで競技に対して心身を注いでいます。でも、あまりにすごいので調整して試合に臨んでいることを、余力を以て試合に臨んでいると勘違いしていました。そして彼らを、アニメの主人公みたいに現実にいそうだけどいない人という風に見ていたように思います。私にとって試合を見る時間は物語でした。息が止まったり、目を大きくしたり、「おおー!!」「いけー!」と叫んだりします。勝ったら嬉しいです。でも、物語に感じていました。

 選手はインタビューで大抵、試合の振り返りと今後の抱負について語ります。勝って嬉しい、負けて悔しいという気持ちより、次に何をすべきかということを淡々と語ります。私はインタビュー以外でしゃべっている所をあまり見たことがないので、その感情がない感じが彼らの普通なんだと思ってしまいました。彼らが肩で息をしていても、疲れているというのが最初にイメージとしてこない。やることをやったら結果がついてきたという、デジタルな解釈をしてしまっていました。でも、昨日の瀬戸選手の発言を聞いて選手たちは、私が運動会で全力で走ったのと同じように、試合の短い時間に全力を注いでいたんだと、当たり前のことに気づきました。あの時間のために人生を掛けているんだと気づきました。世界の上位で競い合っている人たちも、「苦しい、でもやりきらないと」という感情があるんだと気づきました。それはもう、「大変なことだー」と心が騒ぎました。「彼らも一人の人間だ」と思うと、心への負担が重くなりそうですが、せめて試合は最初から最後まできちんと見ようと思いました。

 アジア大会は9月2日までです。ここまで読んでくださったあなたも、物語ではなく人生なんだと思ってみてみると、心が騒ぎだすのではないでしょうか。